2018年9月26日作成プロフィール
2017年5月作成プロフィール
40代女性、同い年の夫と中学生の娘との3人家族。
元特殊旅行会社に勤務。2017年春に退職。
ほぼ仕事だけの生活だった生き方を終わりにし、家族3人で夕食をとり、会話ができることの幸せな時をもちつつも、好きな仕事をすることが出来ないかを考えはじめ、スタート地点に立ったところ。
もっか、主婦力トレーニング中。特に料理! 1カ月もしないうちに、料理が楽しくなった自分にびっくり。
友人に子供っぽくなったと言われる。
いままで出来なかったこと、したかったこと、セミナー系、運動系、勉強系、ほか何でも、野生の勘?に任せてトライ中。
そのお陰で、おしゃれにほとんど興味がなかったのに、生まれて初めてショッピングが楽しくなったり、歌はほとんど聞かなかったのに菅田将暉さんの『見たこともない景色』にはまって、何度も聞いたり、知らない場所に出かけるのが苦手だったけど、地下鉄にも自由に乗れるようになって東京をウロウロするのが、楽しくなってきた。
ここ2年、仕事漬けな日々で、旅先の世界の自然は身近だったが、家族や、日本の町とは疎遠でした。そんな、おかしな状況を改善すべく、いまは、さまざまな出会いを大切にしながら、1日1日を大切に過ごしています。
2017年10月1日加筆
20年と7カ月勤めた会社に行かなくなって、まる6カ月が過ぎる。
会社に行かないこと、平日に町を歩くこと、家にいることにすっかり慣れた。
仕事は、違う形でまた再開している。
現在は、全く想像していなかった状況で仕事が順調にできている。
去年の今頃は、会社を辞めることなんて、まだ考えていなかった。
人生って不思議。
全く想像していなかった世界が、怖かったけど、飛び込んじゃったら、それがうまく動いている。
自分が動いて、初めてほかの人がどう思っていたのかも知ることができた。
ありがたいとしか言えない。感謝しかない。
仕事を辞めて、心身共にすっかり健康を取り戻し、生まれてから一番健全な状態で過ごしている。
ヨガで整えてきた体を今度は、走って鍛えようという気になり、走り始めた。
娘には、ママと初めて〇〇したね、家族三人で夕ご飯毎日食べて家族っぽいねとか、お弁当1週間連続で初めて作ってもらった~などなど、
およそもう10数年一緒に暮らしていると思えないようなコメントを4月以降にたくさんもらった。
彼女のほうが、すでに毎日が忙しい。
でも、時々、原宿に出かけたり、そういうこともできるようになった。
ひとえに私に余裕ができ、彼女の生活に合わせてあげられるから、できている。
娘との関係性は、とてもよい。
ギリギリのタイミングだった気がする。
あと、少し遅かったら、もうそっぽを向かれた気がする。
「一緒にいられなかったから、ママ大好き~!」と、今でも小さい子のように私を欲してくれる。
うれしい。
仕事のことも、ここでも報告できるようになりたいけど、まだそんな気持ちになれずにいるので、今日は書きたい事だけ書くことに。
サラリーマンと同じことをしても面白くない、というと適切な表現ではないのですが、先月9月は仕事の仕方についてまた考えていた。
家族とのあり方についても考えることがあった。
やりたいことがある。考えていたことがある。それを実行すべく、ちょっとまたシフトしようという気になった。
会社を辞めてから、感性にゆだねて魅かれる場所に行き、たくさんの人と出会った。
今まであったことないような人にたくさんあった。面白くてワクワクした。
今までの自分じゃ信じられないようなチャレンジもした。
たった6カ月だけど、別人のような私。
仕事では地球の裏にも行けるけど、自分ひとりで、初めての場所に、地下鉄を乗り継いでいくのは緊張して難しい。
仕事だと相手が外国人だろうが誰でも質問できるけど、1人でいると声をかけるのは気おくれする。
お腹も以前より減るようになったし、ご飯が美味しくなった。
いままで興味の薄かった、山や紅葉がリアルに美しく感じることができるようになった。
仕事でどこかに行くのに悲痛な気持ちをいただかなくなった。
「いろんな所に行けていいね!」と言われるのが、嫌いだった。
仕事で楽しむことに、ずっと違和感を感じていた。
でも今は違う。
人生を楽しもう、そして、この楽しさを伝えたいと心から思っている。
そんな風に思って、仕事をし、毎日を過ごしている。
そんな気持ちになれて、本当によかった。
私はこの先、なにがあっても幸せだ。
と、10月1日に降りてきたので、書くことにする。
私にとって、旅は仕事であり、新しいアイデアのわく源泉でもあり、体にこたえることもあるが、回数は変っても続けていきたい。
自然に出会う旅だからこそ、体も頭もすっきりするのではないか。
地球の生きとし生けるもの、空や宇宙からエネルギーをもらえる気がする。
色々なことがおこる毎日だけど、心安らかな、平安を祈らずにいられない。
2018年4月9日加筆
退職してまる一年がたち、
個人事業主で活動をはじめ、9ヵ月を迎えようとしています。
退職後、同じように仕事が出来るか不安でたまらなかった時期もありましたが、
おかげさまで、いま同じように活動できています。
そうさせてもらえている関係者の皆さま、
そしてお客さまに感謝しかありません。
ありがとうございます!
それから、無条件に応援してくれる人、
落ち込んでいるときに励ましてくれる人、
私の知らないことをおしえてくれる人、
イベントに参加していただいた方、
お会いしたことはないけどブログを読んでくださっている方、
皆さんにも、ありがとう! と伝えたい。
ツアーで家を出る以外は、
自宅で仕事をするという生活スタイルにもすっかり慣れました。
でも、仕事がたてこみ、忙しすぎて、気持ちが窮屈になり、
しばらく前からまたバランスがうまくとれないことに悩みだしていました。
仕事か、家族か、どっちが大切?
自覚はしているのですが、
ゼロかイチかみたいな考え方に昔からなりがちです。
ある人のブログを読んでいて、
仕事or 家庭、の2択だから窮屈なんだと、気づきました。
仕事and家庭and自分、3つの時間が必用だったんだと。
忘れていました。
自分のこと、自分の気持ち。
子供が生まれて、子育てしながら仕事しているうちに、
自分の気持はおざなりに、
その場しのぎで、直視しないようになっていました。
そうでないと回らない時期もありましたが、
それが長く続いて、自分の気持ちを感じるスイッチの入れ方を忘れたようです。
仕事をする上でもその方が、楽だったからでしょう。
お腹が減らないこと、
マシンのように働いたりできたのはそのせいでしょう。
自分の時間が全く無いわけではなかったのですが、
そう思って過ごさないから、
満足度が低い。
いつも不満を感じていました。
「恵まれているのに、何言ってんのよ!」
言われたこともありますが、
同じく自分のことをするにしても、
自覚して自分の時間を過ごす。
これって、すごく大事なことだと思います。
犠牲になっている感、が
すごく強かったのですが、
そんなことないって、
やっと気づけました。
まだ肚の底から思えてないかもしれませんが、
むしろ、家族からの恩恵を受けているのは私だと。
これから、よく考えたいと思います。
そしたら、ご飯を作るのが深刻につらくならない気もします。
また、別の人のブログのプロフィールを読んでいて、
私もそうだ!と、
気づいたことがあります。
「自分の仕事が大好きなんです!」
何をいまさらと言ってるの?
と笑われそうですが、
「仕事が趣味です。」
というのは、社会的に偉い人だけが言っていい言葉だと思い込んでいました。
でも、違うって。
ただの思い込みでした。
体調を整えたい、体を鍛えたいという願望の理由は、
この仕事を続けたいから。
個人事業主なら体が資本なのは当たり前だとしても、
今ここでどうにか軌道修正したいという強い気持ちは、
ここから湧き出ていると気づきました。
この仕事が大好きだから、
やりすぎるし、
線引きが上手くできなくなるし、
具合が悪くなって思考停止するまで止められなくなることや、
家族に時間を取られたくないと思うのもそのせいだと。
仕事と生活のバランスが取れるよう、
そのことを十分に自覚して、
これからまた新たにスタートします。
好きすぎると度を越しやすい、
と自覚ができたのでまた一歩すすめそうです。
やりすぎないルールを作ろうと思います。
4月を前にして、
生まれてから今までの、長文プロフィールを少し前に書いていました。
45年間の振り返りを、初めてしました。
幼少期から学生時代の生きづらかった辛い気持ちを引きずって、
あまり考えないようにしていたのですが、
書いてみたら、案外悪くないなぁと、
自分で読み返してもおもしろいなぁ、と。
学校が嫌い、
長生きできないと真剣に思ってましたが、
そんなことは全然なく、
十分楽しんでるなぁと。
この一年で、新しい友人ができ、
まったく想像できないレベルの話もできる友人が出来ました。
そして、もっと色々話したいと思う人との出会いも既にたくさんあって、
心から話しができそうなフィーリングの合う人に出会える時間が愛おしいです。
私は人から影響を受けやすいし、
でもそこからエネルギーもたくさんもらえる人だとわかりました。
これからの展開も楽しみだし、
今までの人と出会う時間さえなかった環境から変われたことは、
本当によかったと思います。
2018年4月8日の月曜日、少しだけ町に出て、
研修に向かう新人さんをたくさん見かけ、
入学式を済ませたばかりの親子の会話や
その母と子にしか通じない言葉を発しながら走る親子を見て、
温かい気持ちになりました。
書いていたプロフィールをアップするより、
今の気持を残したくなりましたので、
またまた、プロフィールを加筆しました。
すべてのことに心から感謝します。
読んでくださった方、ありがとうございます。
よかったら、2ヵ月に一度、開催していますイベントにいらしてください!
リアルでお会いできるのを楽しみにしています。
長文プロフィール
〈幼少期〉生まれてから~小学校時代
東京、秋葉原の昭和通りが見える所で生まれる。
年子の弟がいたせいというより、たぶんもって生まれた気質で、ゴレンジャー、仮面ライダー、ウルトラマン、恐竜が好で、リカちゃん人形が苦手。
生き物好きになったのは、神田明神のお祭りの金魚すくいで、特大のオタマジャクシ(ウシガエル)をすくって、それをカエルまで育てたのがきっかけ。足がある日突然生えてきて、尾が消えていくのが強烈な印象に。
しかし、秋葉原は都会。自宅近所の身近な自然は、花壇と公園の植物、少し遠い自然は時おり母が連れて行った上野公園、浜離宮恩賜公園の動植物。リアルな自然とのふれあいがほとんどなく、虫に接する機会がほとんどなく育ってしまう。
生き物との関係は、もっぱらテレビだけで「野生の王国」が大好き。犬猫を飼いたいとねだったが許されず、タニシ、ザリガニ、イモリ、金魚の飼育くらい。オタマジャクシはカエルになると飼い続けられないので、数回飼って、早々に断念。
一方で、粘土遊びで手が汚れるのが嫌いで躊躇する、小学校のトイレが怖くて行けない、母の実家の農家の汲み取り式トイレと五右衛門風呂が怖くて夏に行きたくないと駄々をこねるなど、神経質で潔癖症。自然にあこがれているのに、虫は怖くて嫌いというバランスの悪い子でした。
〈中学・高校時代・大学〉
相変わらず、コンクリートジャングルで過ごす。直線で最大50メートルしかとれない校庭で中高生活をおくり、本当に自然は遠かった。
私立女子校の6年間は、ひたすら内にこもる時代。もっと青春すればよかったと思っていましたが、思い返せばそれなりには楽しんではいたような。
獣医大学に行きたくて、でも牛、馬、豚を愛してるわけでなく、途中、鳥のお医者さんになりたいと思ったけど、日本では学べないことを知る。一年浪人したものの、結局失敗に終わる。予備校は、久しぶりの共学で、世の中に男性もたくさんいることを再確認する時間となる。
浪人中に飛んできたコザクラインコと出会い、鳥に初めて興味をもつ。餌をあげていた母ではなく、なぜか私にとてもなつき、寝る時以外は放し飼いでいたが、呼べば返事し飛んで来て肩に止まる。外から帰宅すれば、玄関まで飛んできて耳をあまがみする等、浪人中は特に一緒に過ごす時間が長く、お昼寝も一緒にするくらい相思相愛の時間をすごす。
大学は結局、なんとなく選んだ、東京農業大学へ。入学式に行き応援団と大根踊りを初めて知り、かなりの衝撃を受け、今までの環境と180度違う世界に入ってしまったことに気づく。
努力しても叶わないなら、好きなことしてみようと思った私は、鳥を観察する同好会に入り、夏に青春18きっぷで、北海道と九州屋久島まで鳥を見にいく。鳥を見にいくための「旅行」は楽しいけど、見るためにひたすら寒い中、待ったりするバードウォッチングは辛い、鳥の数を数えて記録するというカウント作業は自分には楽しくないと気づく。いろいろあって1年で辞め、そのあとは、汗吹いてかっこよくファゴットを吹いていた先輩にあこがれ、勢いで管弦楽部に初心者で入り、苦労しながらも卒業までオーボエを吹いた。ブラームス、ドボルザーク、チャイコフスキーの交響曲をたくさんたくさん聴いて練習した時代。
大学時代の思い出は、楽器の練習とコンサート、そして仲の良い研究室メンバーとの遊び、鶏小屋の掃除、実習など。授業は興味があるものは受けたし、単位も最低限取ったが、正直物足りなくて、つまらないと思っていた。今思うと積極性が無さ過ぎたせいだが、小学校から大学までずっと学校とうまく付き合えずにやり過ごす。
でも、畜産学科の衛生学研究室で、寄生虫学、免疫学等を学ぶために、解剖や解体などの実習や、たくさんの鶏などを飼い世話し、糞尿まみれの時間があったからこそ、海外の辺鄙なところに行っても耐えられる素地ができました。この時代に汚い物への耐性が一気に相当つきました。
<卒業後数年>
実は、大学在学中3年の夏頃からやっぱり獣医になりたいと思って、また受験勉強を始める。将来のこと、考えて悶々とする。就職活動はせず卒業し、コンビニでアルバイトしながら勉強してその後2年受験をしたが結局うまく行かず、諦める。
次に何をしたらいいか全く思いつかない、無気力なままアルバイトをして日々を過ごす。
心の友だった、コザクラインコが死んでしまい、大きな大きな喪失感も重なる。
中学時代の数少ない友人から「卒業旅行をドタキャンされたから一緒に行かない?」と突然電話がかかってくる。行き先が、ガラパゴスとアマゾンいう。お金は全くなかったが、二つ返事で行くと即決。弟に全額借り、アルバイトを増やした。
見られる鳥や生き物を本で探す調べ物や、旅の準備が楽しく、生きるのがにわかに楽しくなる。
ペルーで日本大使館立てこもり事件が起きた年の3月、父に「お前なら大丈夫だろ。」と言われ、南米エクアドルに20日間位で、ガラパゴス諸島とエクアドルアマゾンに旅行に行く。
ガラパゴスは、手に取るように生き物が近く、逆にアマゾンの動物は本当に遠くて、生き物との距離感の違いを肌で感じた。そして、どちらも感動だった。
英語もしゃべれないのに、突然スペイン語圏に行った私は、無謀にもここで働けないかと思い、そこにいた日本人にどうやったら仕事ができるかなど聞いたりした。
帰国後、スペイン語を勉強し始めた。まず英語を勉強したほうがいいよ!と未来の自分はいいたいけど。
結局、行くことはかなわなかった。
そして夏頃、日本で唯一の、バードウォッチャーのための雑誌『BIRDERバーダー』に、旅と鳥の好きな方アルバイト募集と書いてあるのを見つけ、応募した。
<新和ツーリスト入社>
自宅から歩いていけ、交通費がかからないことが功を奏しアルバイトは決まり、一年後、社員となる。
新和ツーリスト(株)は、海外に鳥か花を見るため、写真を撮りたい人のための旅行を作っていた。完全に趣味の世界の旅行だった。
花好きな上司と、鳥好きな上司がいて、彼らが旅を企画する。
旅の手配は、海外の様々な国と直接やりとりし、もちろん英語だったので、それは上司がしていてた。
私は、ツアーに参加する方へのご案内を作る、そしてお送りしてお手続きをすすめてもらえるようにご案内するのがメインの仕事。日本全国にお住いの参加者の日本側での飛行機や宿の手配をして、そういったことをまず覚えました。
旅行会社の仕事は地味で、9割5分以上は事務作業です。添乗等で外に出るのは、本当に数%もない時間でしょう。
でも入って半年後に、フィンランドのツアーに同行させてもらえ、海外でのバードウォッチングがどんなものかを見て知り、自分に足りないものが何かをわかるチャンスを得る。
その頃は、人と話すのも苦手、世界の地名もわからない、英語は話せない、世界の動植物のことはわからないと、無いない尽くしの自分でした。
電話がかかってきて、お客様から質問されるのがとっても苦手でした。
まだEメールのない時代、英語でかかってきた電話を運悪く取ってしまうのが、苦痛でした。
そんな状況で、しばらくはひたすら事務作業を覚える時間を過ごし、小さい会社だったので、なんでもやらねばならなく、お陰でなんでも、覚えていけました。月に一度のニュースの大量発送の手作業とか、いま思い返すと、のどかな時代でした。
<結婚して共働き>
英語が出来なくてまずい!と思って入った英会話学校で出会った夫と入社して3年後に結婚。歩いて通っていた会社へは、片道1時間以上の通勤が必要になりました。かつ、ご飯も作らなくてはいけなくなり、母と同じように夕食を作ろうとしてあっというまにノイローゼに。
仕事のほうは、年に1~3回くらい添乗に出て、経験を積み、少しずつ覚えていきました。ツアーに行くと、現地バードガイドがいますが、彼らから実に多くの事を教わりました。仕事はもちろん、世界の常識、その国のスタンダードなど、世間知らずの自分には、彼らの世界観を垣間見て、相当刺激をうけました。とっても感謝しています。
ツアーに出れば、知識も経験も得られ、ご参加者との関係性も深まります。そしてなにより、ツアーの内容を良くしたいという気持ちになりました。
そんな中、思いがけず妊娠し、2003年に娘を出産し10ヵ月後に復帰。
保育園問題は、妊娠中に自宅からすぐ前の建物に保育園が出来て、新設2年目の保育園に0歳児から無事入れラッキーでした。
<子育てと仕事>
産後に復帰したら、会社が新橋に移転。そして、花の国内旅行も取扱いするようになっていて、「子供がいるから国内の方がいいでしょう。」と、全くわからない、花のツアーを半ば強引に押し付けられる。花のこと、チューリップ、バラとかそういうレベルでしか知らないのに。結果的には、よかったものの、はじめは相当大変でした。
ありふれた植物、オオイヌノフグリすらわからない人でしたが、見た植物は写真を撮って名前を確認して覚え、国内旅行手配も手探りでやりながら覚えていった。
日本の植物ツアーは、春から秋にかけてで終わってしまうので、冬は海外ツアーに細々と関わり続ける。そんななか「動物好きだっただろう、行ってこい!」とタンザニアのサファリツアーの添乗を突然任され、初めて行ったのが2007年。タンザニアとの接点はそこから。行ったらアフリカの魅力に圧倒され、もっといいツアーにしたいと強く思う。
保育園6年と小学校6年の12年間は、仕事も子育ても試行錯誤しながら進むしかない、綱渡りの日々。両者ともに大変過ぎて、心身ともに病んだ時期もありましたが、仕事をいったん辞めたらもう二度と好きな仕事はできないという強迫観念が強くて絶対にやめたくなくて、子育てと仕事の両立を頑張り続ける。
正確には、両立というより、家庭と自分の健康を犠牲にして仕事を続ける。
<転機>
辞める5年前に会社が吸収合併され、新しい会社になり、様々なことが変わり、新しい人も入社、組織が大きくなりました。
すべてのことに危機感が日に日に高まるのを感じていた自分は、2015年の年末にFacebookの友人がシェアしたセミナーに、何か感じるものがあって参加を決断、超ドキドキしながら参加。
セミナーは端的に言うと、心の勉強で、生き方についての話を全く違うタイプの5人の登壇者から聞く。そのうちの一人大塚あやこさんのカウンセリングを受けてみようと思った。これが大正解で後々の自分の決断に大きく左右することに。
もういくら本を読んでも、何か学んでも、自分だけではどうにもできないところにきていました。
そして2016年、年が明けてから6回コースでカウンセリングを受け、夏のワークショップに行き、その頃に自分の心が変わりはじめました。
同年12月まで、会社を辞めるなんて全く思っていなかったのに、様々なものの受け入れ方がガラッとかわり、あることをきっかけに辞めることをあっさり決意。
会社名は途中変わりましたが、入社した時からの上司は変わらず、20年と6カ月、勤めた旅行会社を2017年3月に辞めました。
<退職後とその直近>
健康回復第一で、しばらくのんびりしようと思っていたけど、好きなことして、会いたい人に会って、ヨガを毎日していたら、わりとと早い段階で気力・体力がもどる。
娘に「ママがいつも家にいる!」としばらく好評で「今週は、毎日ご飯を家族で食べたね。」「お弁当が毎日ある!」「3人一緒にこんなにいるのは初めてだね!」など、苦笑するしかない、コメントをたくさんもらい、いかに普通でない生活をしてきたかを実感。
<2017年夏 個人事業主として独立>
旅行社ではなく、旅のコーディネーター、コンサルタントとして独立。旅行会社とつながり繋がり、違法なことなく、安全・安心を第一に以前と同様に、海外への自然の旅にご案内。いままで出来なかったタイプの旅にも着手し喜ばれる。多方面、必要なことを学び始め、仕事に生かす。
=独立後のご案内先 実績= 2017年:ペルーアマゾン、アラスカ・デナリ国立公園、ナミビア&ボツワナ エトーシャ国立公園、南アフリカズールーランド、
<2018年9月>
会社員時代には全く想像していなかった世界に。時間がたち整理され見えてきたもの、まだ整わない混沌な部分など、いろいろ。でも、これ以上なく順調に仕事が出来ていることに感謝。家族との距離感も1年7カ月たち、継続変化中。
=2018年実績= ジャマイカ、北部タンザニア、佐渡ヶ島、ボルネオ島・マリアウベイスン、三つ峠、南部タンザニア、モンゴル・南ゴビ砂漠、ニューカレドニア