フィリピンのパラワン島で、野鳥を近くで観察するために作られた「ハイド」と呼ばれる隠れ場所に入った。
その2カ所目での出来事。
正直に言うと、最初はあまり気分がよくなかった。ミルワームの使い方が目に余って、見せるために作られた環境に違和感があったし、同じ場所にいた他の人との距離感もしんどかった。
だから、ハイドは個人的にはもういいかなと思いながらそこにいた。
その場に先にいた人たちは、大きな機材をいくつも持ち込み、セッティングは現地のスタッフに任せ、自分はシャッターを切ることに専念している。そういうスタイルの人がいることは知っていたけれど、一緒になったのは初めてだった。
同じ場所にいながら、見ているものが違うような感覚があった。
だからなのか、私は自然と、その人たちが見ていない方向を見るようになったのだと思う。
わりと早い時間にヤイロチョウ2種が現れ、
しばらくして、みんなシャッターを切らなくなった。
ただそこにいる時間になった。
そのあとだった。
ハイドの横のしげみを、モニターリザードが横切っていったのが見えた。誰かが探していたわけでも、呼び込んだわけでもない。
ただ通っただけだった。
キンバトも一瞬だけ現れて、すぐに消えたりもした。
つまり、その場にいたから、その通過にたまたま居合わせて出会うことができた。
セキショクヤケイも遠くを歩いて行った。
それらはすべて、ハイドで見せようとしていた「見せられているもの」ではなかった。森の中を普通に動いているものが、たまたまその場を通っただけだった。
実際に森を歩いていたら、こういう出会いはほとんど一瞬で終わる。
でもハイドでは、同じ場所に自分たちがとどまることで、そういう通過に出会うことがある。
点だったものが、少しずつ重なっていく。
ヤイロチョウも、満腹になると同じ場所に隠れていて、その“次の行動”が見えてきた。
もちろん、すべてのハイドでこうなるとは思っていない。
実際、パラワンコクジャクのハイドでは、
動くな、音を出すなと、ほとんど忍者のように振る舞う必要があった。
2箇所目のハイドはかなり緩く、動くこともできたし、ガイドとも会話ができた。
だからこそ、撮ることから離れて、ただそこにいる時間が生まれたのだと思う。
ハイドは「見せる場所」だと思っていた。
でも実際には、「通過していくものに気づく場所」でもあった。
見せられているものではなく、見せようとしていないものの方が、強く印象に残ることもある。
ハイドは、そんな使い方も、あるのかもしれない。そう思ったら、もう少し体験してもいいのかと思えてきた。

