キリマンジャロを見上げながら濃密な8日間を過ごして、およそ1カ月が経った。
キリマンジャロは富士山のように、周りに高い山がなく、広い大地から一つだけそびえ立つ山。赤道に近いアフリカのサバンナから、雪と氷河の残る標高5,895mの山頂へ。その雄大な姿は、独立して立つ山としては世界一の高さを誇る。
今回は、異例の「登頂を目指す自然の旅」だった。
途中、アフロアルパインという森林限界を超えた環境で、アフリカの高山植物(ジャイアントセネシオとロベリア)を、去年に続き本来の自生地に近い場所で観察できた。元気な大株をいくつも間近に目にして、大興奮した。20年に一度開花するという花にも巡り会えた。
昼は真夏、夜は氷点下になるほど気温差のある環境で生きる植物は、巨大に進化した。日本の、いや私の高山植物の概念を軽く超えてくる、すごい。
山頂部に大きな火口をもつキリマンジャロ。その火口縁にある標高5,756mのステラ・ポイントまで、2026年7月12日6時半にみんなのおかげで私は到達できた。最高地点のウフル・ピークは5,895mだ。
登山ガイドではない自分が、登頂を目指す旅を引き受けることには相当悩んだ。4年の関係性のある方でもちろん私が山のガイドではないことは理解していてそれでもリクエストしてくださってる。その気持ちには応えたいが、安全に遂行できるか?が1番大事だ。そして、自分が同行するなら、環境や動植物の変化を感じてほしいと考えた。
数年かけて準備し、キリマンジャロを何度も案内した登山ガイドの友人のリアルな知恵も授けてもらい、何度もシュミレーションした。サファリの旅でもう20年の付き合いになる信頼できるランドオペレーターとも何度もやりとりをして出発した。もちろんその会社は普段から登山ツアーも運営していて、ベテランガイドも繋がっている。その人のおじさんが、初めてキリマンジャロ登頂を成功した外国人をガイドしたと聞いた。
結果的に、みんなで元気に歩き続け、無事に帰国できた。2人は登頂し、私ともう1人はステラ・ポイントから先へは進まず下山した。
23時に最後のキャンプを出発し、朝の6時30分、日の出とともにステラ・ポイントに着いた。標高差は約1,100m。
いやー、人生で長い長い、大変な時間でした。
これまでも、海外の野外でいろいろと想定外なことには遭ってきましたが、軽く記録更新。
5,000mを超え、氷点下のなかを登り続けるという運動は、寒さと苦しさ、疲労、寝不足、酸素不足があいまって、後から考えれば、私にとってあの時間は、死んでもおかしくなかったと思うほどの危険な領域だった。
月がきれいでたまらなかったけれど、眺めるだけで、写真を撮る気力は生まれなかった。
明らかに途中でエネルギーが不足していたはずなのに、食べることをせず、飲むのがやっとだった。
自分のエネルギーがあとどのくらい残っているか? その算段は、この仕事を30年ほどしてきて、大きく外さないつもりでいた。でも、酸素が不足した頭はきちんと働いていなかった。自分の読みが甘く、外していたことに、ステラ・ポイントからの帰り道で気づいた。正直に言えば、頂上を目指していたあの時間は、自分のことだけでも満足にはできてなかった。
今年1月のモンゴルでは、マイナス40℃までを8日間の滞在で経験した。雪の上で座ってユキヒョウを待ったり、日の出前後の気温の下がる時間帯にマヌルネコを探したので、それまでマイナス25度が最高だったがそれ以上の寒さも経験し、寒さの感度も身についたつもりでいた。
実際、頂上を目指して登っているときに「マイナス20℃まではいっていないから大丈夫」と考えはした。モンゴルで、その位の気温は暖かいほうだと思うくらいには、寒いのは苦手だが、感覚的には慣れたしわかったつもりでいた。
けれど、5,000mを超える高所での寒冷は、違う世界だった。
現地で気づいてなかったが、指が軽い凍傷のようになったことに後から気づいた。モンゴルで感じた、ちぎれるような指の痛みは、頂上を目指しているときには感じなかった。帰国後に指が同じ状況になったので、気づいた。手袋は二重でカイロも手にしてたけど、そうなったのは自分の体質も関係してるけど。
高所では頭が働かず、感覚も鈍くなるから、より危険度が高いのだとわかった。正常な判断ができているつもりで、できていなかった。感覚、感度、頭の働き。それらすべてが落ちていた。
下山時に事故が多くなることも、自分で体験して、後から実感した。
7月15日夜に帰国し、そのあと5日間、最低限のトイレと食事、身体のメンテナンスに行く以外は寝倒した。
12時間寝続けて、トイレに行って、食べて、また横になる。そんな生活を久しぶりにした。疲れ切っていた。
筋肉痛はもちろんあったけれどそれほどひどいわけでなく、高所による低酸素、睡眠不足、過度の疲労、足のむくみがあり、毛細血管が切れたのか、膝から下が変なことにもなっていた。
皮膚のトラブルは現地で起こった。
元々弱い、多分浴びすぎてときどき日光アレルギーが出るので、衣服で保護し、日焼け止めももちろん使っていたが、日に焼けた。火傷みたいにあざになった部分もあった。焼けることはわかっていたが、現地の極度の乾燥によって、鼻の中の皮膚が崩壊した。切れて、血液ではない体液まで出てきて痛かった。
鼻の中はもともとよく切れるので、弱いところに支障が出たのだと思う。
さらに鼻の下の皮膚は、日焼けと鼻をかんだことがあいまって、ヒリヒリを通り越し、何もしなくても痛すぎる状態に現地でなった。クリームをつけるしかなく、それでなんとか乗り切った。
鼻の中のほうが、治るまでに時間がかかった。
5日間休み続けた後、両親の介護の手続きなどで3日間実家に通った。そして、また少し休んでから対馬へ飛び、ツシマヤマネコを探す自然の旅に出た。
タンザニアから帰国したとき、日本は暑くてたまらなかった。
けれど、その暑さをもたらす湿度が、カラッカラに乾いていた私の細胞には、暑さ以上に気持ちよく感じられた。
「日本の湿度、最高!」
珍しく心底そう思った。
でも、対馬は東京よりも暑くて、つらくなった。暑すぎたうえに、ポンプの故障で田んぼに水がなく、夜行性のヤマネコがまったく動く気配がなかった。
そのため早朝観察も追加し、寝不足になったことのほうが身体にこたえた。それでも朝、田んぼの畔に現れた成獣の個体に、今年はついに出会えた。
対馬に行って、ヤマネコを探してメンバーと過ごしていたら、結果的に落ち着いた。
海外から戻って「○○が食べたい!」と思うことは普段ほとんどないけれど(どちらかというと食欲はなくなる)、おいしい冷麺が食べたくて焼肉屋へ行った。美味しい甘いものも珍しく欲して、近所の新しいお店に桃のクレープとケーキも買いに行った。
身体が落ち着いてくると、溜まりに溜まったことに、ようやく手をつける気力が戻ってきた。
すっかり遅れていた9月、10月の旅の事務仕事に集中し、後回しにしていた山道具の片づけも完全に終わらせた。まだ色々、溜まっている仕事もあるけど。
仕事だけでなく、親しい人にも会ってリラックスもし、Instagramで見てた新しい美容院へ思い切って行き、すっきりしたくてショートカットにしてもらった。昨夏、キリマンジャロのために通い始めたパーソナルジム(SkyGym朝霞店、須佐勝明さんと渡邉真智子さんにお世話になっています)にも、やっと運動したいと思えるようになり、また通い始めた。
自分のやりたいことがポツポツ出てきた頃に、キリマンジャロの旅が想像していた以上に、身体にも心にも相当な負荷をかけていたことに気づいた。
死ななくてよかったな、みんな無事で元気で本当によかったと、少し経ってから真剣に思い返した。
山頂を目指していた時、ときおり視界に入ってきた月を、いつもと違う感じで眺めていた。あのときの危うい感覚、感触、空気感をふと思い出す。
現地ではヘリコプターが毎日飛んでいたし、具合の悪い人も毎日見た。リアカーの走った車輪の後も見た。紙一重だった。
最近は多少慣れたが、もともと標高の高いところに強くない私は、高山病の症状が出てもおかしくないので、自分の体調は観察していた。
3,000m以降、呼吸が常に苦しいことを除けば、サミットアタックの直前までは下痢すらなく、普通に食べられ、夜はよく眠り、頭痛も出なかった。毎日登ったり降りたりしながら少しずつ高度を上げる生活は健康的なトレーニングにもなり、すばらしく健康的な生活で筋力もついた気がする。
出発前は、両親の介護など家族のことで予定外に大変になり、旅のことに完全に集中できなかった。それにイライラしていたときもあった。
けれど途中で腹をくくり、やれることをするしかないと思えたあたりから、落ち着いた。
最後まで冷静でいようと、いつも以上に努力はした。
旅では何があるかわからないから、心身ともに余力を残しながら運営している。でも今回は、限界を突破しなければ越えられない旅でハイリスク案件だった。
救急時のヘリコプターの費用や、途中で山を下りた場合のその後のことなど、さまざまなことを想定しながら確認したが、それらの心配は杞憂に終わった。
誰も怪我をせず、高山病が深刻化することもなく、無事に旅を終えられたことが本当によかった。
昨年から引き続きお世話になった現地タンザニア人の山岳ガイドをはじめ、20人の現地メンバーには心から感謝している。2年目だったので、気になることはいろいろと聞いてしまった。裏事情も少しわかった。
南極の旅の後のように、しばらく魂は戻ってこなかった。
私にとって、南極とキリマンジャロは、双璧、ツートップの旅となった。
でも、1カ月が経ち、ようやく落ち着いてきたので、ここに今の気持ちを残す。
今年は、初めての国や場所が続く。
後半戦はもう少し穏やかにいきたいものだが、はたしてどうなるだろうか。

流行りに乗ってchatGPTで作ってみた。
キリマンジャロとセネシオとロベリアを1枚にしてもらった笑
トップの写真は世話になったタンザニア人のみんな。もっと話したかったな。余裕なさすぎた。写真利用の了解はとってるし、撮れとれ!と言われて撮ったけど、お気に入りの1枚。

