ボルネオ島のキナバル山麓で観察可能な鳥の英名にWhiteheadがついている鳥が3種いる。
先月のツアーで購入したチョウの図鑑にWhitehead’s Baron(チョウの一種)が記載されていて、その隣のページにコラムとしてジョン・ホワイトヘッド氏のことが書かれていて、その名がイギリスの探検家の名から来ていると初めて知る。
ウォレスの後20年後に、北部ボルネオ島を1884年〜1888年に探検し、キナバル山から45種の新種を収集。1888年にキナバル山の登頂も成功している。そして1893年に自作のカラー図版を添えて、唯一の出版物『The Explaration of Mount Kina-Balu』を出版している。
ロンドン生まれ、エジンバラで教育を受け、自然史に強い関心を抱き、動物標本の収集家として疲れを知らない勇敢な開拓者となった。
そのころのキナバル山にはもっとたくさんの鳥がいたのだろうか? 100年以上前の景色を想像した。どんな感じだったのだろうか。見つけるだけでも大変な鳥を捕まえるのは、また別の大変さがあるだろうが、標本にするならば、損傷なく捕獲する必要があり、どうやったのだろうかと。
その後、フィリピンなども探検をしているが、若くして1889年の6月2日に38歳で亡くなった。
その時代のその長い旅は相当きつかっただろうことは容易に推測できる。比較的、快適な宿に泊まり、観察を続けているだけでもかなり消耗するのに、その時代、道路も乗り物も、衣服も、食べるものもイギリスのそれらとは全く違っただろう。自分が行った場所だと、時代を超えて思いをはせることができる気がする。モンゴルに行った時に、ロイチャップマン・アンドリュース氏という探検家を知って初めてそういうことをしたが、二人目だ。
5月のボルネオの旅から帰国して、キナバル山麓でWhitehead’sの名のつく3種に幸運にも出会うことができたので、再度そのページを読み返していたら、6月2日に亡くなったと知り、135年前の探検家のことを伝えたくなりました。
アイキャッチの写真が、左から、
ムナフクモカリドリWhitehead’s Spiderhunter、
オオミドリヒロハシWhitehead’s Broadbill、オス
ノドグロキヌバネドリWhitehead’s Trogon、オス